命を燃やすとは
この世に生を授かっているから、今この文章を見ているのだろう。
生を授かるとは、命を授かることである。
授かったということは、
それを使っていかなければいけないことである。
心臓が動き出した時から意味がある。
天から授かった肉体。天から授かった才能。
容姿を含めて、意味を持たされて生きている。
この世に偶然とは何もない。
すべてが必然で生まれては消えている。
生まれては消える命に、
何をしても、死んでいくことを知っている命に対して、
どのような意味を持ち生きて行くのか。
粗末にすれば、それ相応の人生は来るし、大切に扱えば、それ相応の人生は来るし、
挑戦をすれば、それ相応の人生は来るし、優しくすれば、それ相応の人生は来る。
命は使わないと損なのか得なのか。
それさえも、人は未熟でよくわかっていないと思う。
ただ、分かった範囲で言うと、大人を活かさなければ、答えはないという事だ。
我慢しても、無理をしても、妥協しても、心の奥底の自分が、違うと言ってくる。
その機能が無ければ、なんでも良い人生を歩めると思うが、
そんな機能に人はなっていない。
身体がそうじゃないと悲鳴を上げるようになっている。
その悲鳴を頼りに、自分の快適な位置を見つけていくしかない。
そこに対して、命を燃やすことは、この世界は許されている事実である。
命を燃やし続けた先には、必ず人が1つになれる場所が存在する。
それは、世界平和である。